2013年5月29日水曜日

手なりが最強!でも手なりは難しい?


手役を狙うか、ツモ運にまかせるか。

昔から議論が活発でしたが、

近年、一応の落としどころに落ち着いた感があります。

 

すなわち、手役よりスピード、手役より効率重視という考えです。

まずは先手をとること。

とにかくリーチをかけること。

 

いわゆるデジタル派が主流となったことで、

こういった考えが現在のトレンドといえるでしょう。

 

 

競馬にも持ったままという表現があります。

馬なりといい、騎手がとくにムチを入れなくても快走してくれる状態です。

これは馬のポテンシャルはもちろん、

芝や騎手のコンディション、

展開など全てが味方をした結果といえます。

 

麻雀も同じ。

手なりは最強です。しかし手なりは難しい。

 

そもそも手なりとはなにか。

ツモ毎に捨てるべき牌がほぼ特定された状態であり、

最終的には和了までこれが継続することをいいます。

 

ミソは「ほぼ特定された状態」というトコロです。

たとえば、他のメンツがほぼ完成している状態であれば、

「三 四 六」なら迷わず六を切ります。

こういった「切る牌が分かりやすい状態が継続」した状態が手なりです。

 

しかし、同じ条件で

「三 五 七」とあったらどうでしょうか。

この時点でおそらく多くの人が手なりとは思えないはずです。

なぜなら迷うからです。

迷ったら手なりではないのです。

 

さて、ここまで読まれた方の中で、

このブログを熟読されている方であればピンときたはずです。

 

そうです。

手なりには仕組みが必要。

逆にいえば複数のパターンをもって、たくさんの仕組みを自分のものにしていれば、

ほとんどの局は手なりでいいのです。

 

そして冒頭で述べたとおり、手なりは最強です。

つまり、手なりで打つ局を多くすれば、必然的に勝率がアップするわけです。

 

多くの仕組みを作れば手なりの局が大幅に増えます。

そしてパターンを作る方法は当ブロクの中心テーマ。

詳しくは「357は3を切る(2013年2月9日)」等を閲覧してください。

2013年5月19日日曜日

守備のセオリー【一色手】


ホンイツやチンイツは捨て牌が偏ります。

 
染めている色は誰でも簡単に読むことができますし、

攻め手も他家が気付いていることを前提としてプレイしています。

 

捨て牌によっては待ち牌の一点読みも可能ですし、

そうでなくとも、ある程度の得点は予測できます。

 

しかし相手が一色手に向かっているとき、

もっとも重要なポイントは上記の情報ではありません。

 

肝心なのは「テンパイしているか否か」です。

 

どれだけ得点が高くても相手がテンパイしていなければ、

字牌や染め色をガンガン切り飛ばしても自分の点数は減りません。

 

いわれてしまえば当たり前のことですが、

キチンと理解している中級者は多くありません。

 

その証拠に、一色手がいる場合、

多くの中級者は字牌やその色を一生懸命止めています。

もちろんそれが賞賛された時代もありますし、

今でも「上手い」打ち方としてそういったスタイルがあることも事実です。

 

しかしながら、止めた字牌や色牌が鳴かれるかどうかはわかりませんし、

仮に鳴かれたとしても、相手の手がどの程度進んだかも本人以外わかりません。

また自分が止めたからといって相手の手が遅くなるという保証もありませんし、

自分以外の他家が捨てる可能性も十分あります。

さらに自分が牌を止めたからといって、相手は一色手を諦めることはまずないでしょう。

 

つまり、一色手いるからといって、牌を絞るという打ち方を選択することは、

自分の和了り順目を高確率で遅くし、

相手の和了りの可能性は決して低くならないという、

非常に効率の悪い打ち方なのです。

 

従って、鳴かれる可能性がどれだけ高くとも、

相手がテンパイするまでは、自分も和了りを目指し続けるべきなのです。

 

とはいえ何が何でも突っ走っていては点棒がいくらあっても足りません。

そこで重要なのは「相手のテンパイ」なのです。

 

一色手のテンパイを読むことは決して難しくありません。

ポイントは2つ。

 

1つは「警戒は数牌が切られてから」ということです。

 

序盤、「中」と「東」をポンしているプレーヤーがいるとします。

捨て牌はピンズとマンズのみ。ソウズが一枚もでていない。

 

中級者は字牌をソウズを止め丁寧に打ち回します。

上級者はガンガン切っていきます。

 

一見上手に見えるのは中級者。

しかし勝つのは上級者です。

 

繰り返しますが、警戒するのはテンパイしてから。

そして数牌が出てきたらテンパイの可能性は高いと読むべきです。

しかし染め色の数牌を一枚切らない一色手はまずないといえます。

全くのゼロとはいいませんが、確率的に非常に低いため、
 
自分の和了に向かった方が勝率は高くなります。

 

麻将連合μの井出洋介代表も自身の著書の中で、

「染めている色が余らない一色手はない」と断言されています。

 

 

2つは「メンチンは警戒しない」ということです。

 

メンゼンのまま成立するチンイツは、

場合によっては役満以上に発生確率が低い役です。

役満より身近に感じるのは6役という基本役であることと、

一色手を狙う場合、だれでもある程度は意識するためです。

 

思い出してみてください。

最近メンチンを和了った記憶はありますか?

まったく和了っていない人がほとんどだと思います。

それほど発生確率の低い役なのです。

 

また和了った記憶のある方も、きっと手牌も記憶しているのではないでしょうか。

それほどプレーヤーの脳裏に刻まれ易い役なのです。

これは発生確率が低いことから来ている現象です。

 

メンチンはピンフやイーペーコウが同時に成立しやすい役ですが、

イッツーなどは意外に付かないものです。

つまりどれだけ高くなっても倍満どまり。

マンガン2回分です。

 

半荘20回打っても1回あるかどうかのメンチンを警戒して手を回すことは、

マンガン2回分以上の損失であると思いませんか?

実際に支払うわけではないので意識しづらい部分です。

しかしだからこそ、この考えがあるかないかが、中級者と上級者の実力を大きく分けているのです。

 

2013年5月6日月曜日

点数に対する感性


2000年前後の麻雀ブームといえば、

麻雀マンガ「哲也-雀聖と呼ばれた男-」の連載や

インターネット麻雀が普及しつつある時代でした。

 

この時代、攻撃型の打ち方が主流であったと思っています。

マンガの演出の影響もありますが、

相手が見えない、打ちこんでも痛みを伴わないネット麻雀がその理由です。

 

 

その後、インターネット麻雀でも強い打ち手が現れるようになり、

彼らの一部はデータ分析や統計を駆使し研究結果を公表しました。

デジタル麻雀の時代です。

この時代は守備型のテイストが好まれたと思います。

 

もちろん、攻撃のテクニックも十分にレベル向上しましたが、

守備の有効性の高さをキチンとした数値で表したことで、

多くのプレーヤーが守りにシフトしていったのです。

 

 

現在、上級者思考でもっとも重要になっているのが、

「点数に対する感性」です。

 

各時代で流行した戦術にはそれぞれデメリットが存在します。

攻撃型では放銃点。

守備型ではノーテン罰符。

これらの失点を、

攻撃型は「取り返せばよい」、

守備型は「放銃よりもよい」などとして、

極端にいえば目をつむっていたのが実情なのです。

 

その失点リスクを限りなく抑えつつ、

各時代の有効な戦術から、いまでも十分に通用するエッセンスを取りだしたのが現代の麻雀です。

要はいいとこ取りです。

 

各時代に欠けていたものは「点数に対する感性」

 

例えば「オーラスはトップ差10000点差以内に迎える」という戦術は

現代では相当浸透しています。

説明すると、マンガンツモは収入が8000点であり、相手は2000点(子)を失っているわけです。

つまり、マンガンツモで特定の相手とトータル10000点差が縮まるのです。

オーラス一発勝負ではハネマンや倍満などは条件的に厳しいもの。

最高でマンガンツモが現実的であるという発想から生まれた戦術です。

 

各時代、この思考はまったくなかったわけではありませんが、

決して一般的ではありませんでした。

この戦術は比較的新しいものです。

 

当ブログではあまり具体的な戦術、

つまり一打一打のテクニックなどは紹介していません。

誤解を恐れずにいえば、麻雀の実力となんら関係がないからです。

 

ある手牌で、その時に何を切るかはどうでもいいのです。

そこに至る背景、すなわち自らのシステム作りが大切なのです。

 

しかしながら、麻雀の実力向上に有効なテクニックもあります。

それが「点数に対する感性」と、それに伴う戦術です。

今後は、少しづつ、これらについて書いていこうと思います。

2013年5月5日日曜日

習得すべき技術


このブログでは何度も述べていることですが、

麻雀が強くなるためには「定石を学ぶ」こと、

定石を知るためにはプロや著名人から学ぶことが重要です。

 

強いプロや著名人は、一打一打なんらかの定石や戦術に基づいて打っています。

従って、キチンと分析さえすれば、その一打に至る背景を知ることができ、

つまりは自分の知識として蓄えることができるのです。

 

しかしながら、全ての技術を分析し、習得することは現実的ではありません。

 

そのため書籍に頼る部分が多くなります。

分かりやすい基本書籍、

個性的な戦術本など、

多くが出版されています。

過去の牌譜なども大いに参考になります。

 

 

そこで大切になってくるのが、技術の取捨選択です。

 

麻雀には多くの戦術がありますが、

互いに矛盾しあうモノも少なくありません。

例えば2600点の手牌をとっても

「絶対にリーチ」とする戦術もあれば、

「ダマが有利」と考える打ち方もあります。

そして矛盾しながらもそれぞれが有効な戦術として成立しているのが麻雀です。

 

その他にも、

タイトル取得など長期的な視点の戦術、

トップ取りなどの半荘単位の思考、

一打のためのテクニックなど

戦術と一言で言っても大小様々です。

 

麻雀に強くなるには、どの戦術を習得するかが大切なのです。

 

 

技術の取捨選択のためには、長期的な戦術を立てることが有効です。

 

なぜなら、長期的な戦術がなければ麻雀がブレるからです。

麻雀がブレるということは、カンに頼った一打が増えるということです。

カンに頼った打つ方では決して勝てないことは、

麻雀を打つ者ならご存知のとおりです。

 

長期的な戦術とは、

企業でいえば経営指針や企業指針、

個人でいえば、人生の目標にあたります。

向かうべき大きな方向性を示しています。

ですから具体的である必要はありません

「攻撃重視」

「守備重視」

といったザックリしたもので結構です。

 

続いて、半荘単位などの中期的な戦術を学ぶことになりますが、

このときの重要なポイントは先に定めた戦術に矛盾が生じないモノを選択していくことです。

 

「守備重視」の戦術を立てているのに、

回し打ちや鳴きのテクニックを学ぶべきではないのです。

 

もちろん必要性が全くゼロとはいいませんが、

それよりもベタオリ技術やベタオリのタイミングなどの戦術を優先して学ぶべきです。

 

そして一打一打の短期的なテクニックについても、

安全度が高い牌を選ぶ技術や捨て牌読みなどを学べばよいとわかります。

 

長期的な戦術を指針として、そこから徐々に短期的な戦術に落とし込んでいくことで、

矛盾なく効率的な実力アップが可能になるのです。

 

 

いまひとつ伸び悩む中級者は、戦術や技術の取捨選択ができていません。

 

書籍からあれもこれも取り入れようとしています。

戦術本は1冊読み終わっても、せいぜい1~2個程度のテクニックしか身に付かないものです。

 

であるのに、記載事項すべてを網羅しようとして、

うろ覚えの知識を駆使して麻雀を打とうとする。

これでは、一打一打についても知識にダブりが出て、いざというときに迷うことになります。

結果、カンに頼ることになるのです。

 

 

まずは、キチンとした長期的な戦術を立てることで、

習得すべき技術が明確になります。

一打一打に迷いなく打てることになり、

麻雀の実力アップにつながるのです。

 

2013年4月28日日曜日

人マネの限界について


これまで当ブログにて何度か述べていますが、

麻雀は人のマネをすれば強くなれます。

 

三色やイッツーなど

手役作りに定評のあるプロ

 

タイミングが絶妙であり、

流れをつかむ鳴きに長けた名人など。

 

麻雀という舞台は同じであっても、

個人によって能力を発揮できる分野はまちまちです。

 

ここで大切なのは、自分自身がどの能力に長けているか、

という点について考えることです。

 

人間は自分にないものを求めたがるものです。

しかしながら、磨くべき能力は自分の資質。

すでに自分が持っていて、成果を出せる能力を伸ばす努力をしたほうが、勝率が伸びるのです。

 

当たり前と思われるかもしれませんが、

実はこれが難しい。

 
 

これは私の経験則になりますが、中級者はメンゼン派が多い。

そして「鳴き」について、自分自身で課題としている例がよく見受けられます。

 

メンゼンの方が有利と思っているから鳴かないことが多いにも関わらず、

一方では鳴き麻雀に憧れをもつ。

この矛盾が勝率アップを知らず知らずのうちに阻んできたのです。

 

もちろん気持ちはわかります。

人間は憧れる生き物です。

 

自分自身がとても鳴かないような手でガンガン鳴いてさっと和了りをモノにする、

そして後で検証してみると他家が高く速い手であり、それを結果としてツブしている。

 

だれが見てもかっこいい局です。

 

しかしこれが落とし穴。

自分の強みでもないところに憧れをもち

興味を持っていかれそうになることが危険なのです。

 

それまで将棋一筋でスポーツをプレイしたことのない人が

サッカーの試合を見ていきなり始めるようなものです。

基礎からはじめるならまだしも

シュートやテクニックから入ろうとする。

 

経験者以外はあくまでエンタテイメントとしてとらえるべきです。

 

麻雀における中級者にも同じことが言えます。

 

鳴きにはトレーニングが欠かせません。

当然基礎もあります。

いきなり華麗なテクニックを表面だけなぞったとしても

絶対に結果には反映されません。

むしろ逆効果です。

 

今回は鳴きを例としましたが、麻雀における全ての技術に同様のことがいえます。

 

誤解のないように今一度述べますが、

私はプロなどのマネをすることは大いに賛成です。

彼らから学ぶ点は多い。

 

しかし、技術の背景や基礎を知らずに表面だけなぞるのは危険であり、

自分自身に合っていないテクニックは使うべきではないということをいいたいのです。

 

今一度、自分自身の磨くべき技能について考えてみましょう。

2013年4月24日水曜日

結果に必要な要素


「一生懸命努力していても結果がでない」

中級者と話しているとよく聞かれるフレーズです。

 

今日は、彼らのいう「努力」とは何か、というところから入りましょう。

 

話を聞いてみますと、

ほとんどの方がセオリーや定石を熟知しています。

また、プロや著名人の話題にも明るい方も多い。

雑誌や戦術本を何十冊も熟読している方もいました。

 

つまり、彼らのいう「努力」とは、読書や情報収集だったのです。

 

しかし、どれだけ勉強し、知識を学んだとしても、それが実践に活きるかどうかは別の話です。

 

野球やバスケのルールブックや漫画を読んで、技術を知っていても、

実際のプレイにはなんの影響も与えないことは誰でも経験があると思います。

知識だけでは勝率は上がらない。

 

むろん、「知る」ということは大切です。

しかし、それを結果に結び付けるためには、実践での繰り返しが欠かせません。

 

ところが、知識を実践に取り入れての訓練は、アタマで考えるよりも難しいものです。

難しいからこそ、中級者は皆、無意識に実践訓練を避けるのです。

 

これは意思だけではなかなかクリアできないものです。

 

ではどうするか。

これには2つの要素を取り入れることが重要です。

まずは、ネットワーク

そして、公表

この2つです。

 

なぜなら、得た知識を実践で訓練するのを妨げるのは「怠惰」だからであり、

怠惰を取り除くもっとも有効な手段がこの2つといえるからです。

 

ネットワークとは、自分の行動や考えを共有してくれる仲間のこと。

麻雀サークルの友人や家族でもいいでしょう。

そして彼らに公表するのです。

2週間後、平均リーチ順目を1順向上させる。」

このように目標を公表するのです。

むろん、努力内容そのものでもいい。

「振込み率を50%減少させる」などです。

 

ネットワークに公表することで、実践せざるを得ない環境となり、

自らの意志力とは関係なく行動に移せるのです。

 

繰り返します

結果に必要な要素は、努力です

努力には、実践が必須となります。

そして実践するためには、ネットワークに公表することが重要なのです。

2013年4月20日土曜日

戦術本の読み方




 いまひとつ勝率の伸びない中級者に共通するものがあります。
それは、多くの戦術を知っていることです。知識が豊富なため自分の腕にもそこそこの自信をもっています。しかし、それを活かしきれていないのです。そして活かせていない理由が戦術本を盲目的に信じており、それを知識として蓄えているからです。

麻雀プロや著名人、元タイトルホルダーなど、麻雀の戦術本は本当に多く出版されています。これは名著だと思えるものから、残念な内容にガッカリした書籍まで、そのクォーリティも多種多様です。

私も少なからず目を通してきましたが、どの本にも共通することが1つだけあります。それは本当に信頼できる戦術は必ずその根拠たるデータが同時に記載されているということです。

これは私の持論になりますが、戦術を記載した書籍であれば、その内容は論理的に展開されるべきです。なぜならば、その大部分が数値化できる単純なゲームです。ですから、客観的事実、データがないということはまず考えにくい。であるにも関わらず、データ抜きで語られている戦術があるとすれば、それは単なるその著者の持論であり、到底戦術とは呼べないものです。

(その最たるものが「ツキ」とか「流れ」に頼った戦術です。しかし、このテーマに関してはここでは割愛します。)

 

主張には、2つの要素が必要といわれています。「論拠」と「データ」です。しかし、麻雀における戦術本では、論拠が示されていてもデータ一切載っていないものがほとんどです。実際に、無作為に10冊選び、たまたま共通していた「間4ケン」について調査しました。「間4ケンは危険だ」あるいは「いや、危険ではない」といった主張は違いましたが、その根拠たるデータを示していたのは1冊だけ。その他の書籍は淡々と文章のみで説明しており、中には論拠さえないものも見受けられました。

麻雀は単純なゲームです。
複雑に見えるのはその単純な数値的現象が同時に発生しているからです。絡まった糸も解してしまえば1本の糸にすぎないように、麻雀も単純化して考えるのがもっとも正解に近い。
たとえば、「asbn」から選択する場合、as切りしか考えられません。ところが、「vmがカンされていたら?」「チャンタを狙っていたら?」などという反論が多いのです。そして麻雀ファンはそのような反論を好みます。そして、多くの戦術本がファンの求める内容をチョイスし、「~ですから状況によってはbnを切ることも考えられる」と紹介するのです。

しかし、as切り以外の選択肢は必要ありません。断言できます。
なぜなら、as切りに対してをbn切ることが正解である確率が著しく低いからです。細かな計算式は割愛しますが、as切りの方が有利になる場面というのは1%を下回ります。どれだけ偏った計算してもせいぜい3%程度です。
いかに「○○の場面では、そうでないかもしれない」「状況による」といった戦術が無意味なものであるか、おわかりいただけたかと思います。

これはほんの一例です。
たしかにこのような極端な例は少ないかもしれませんが、多かれ少なかれ、データのない戦術は、レアケースに的を絞って解説しているだけの内容です。戦術としてはまず役にたちません。

「いや、レアケースでも役に立つことはあるかもしれないじゃないか」

たしかにそのとおりです。
しかしこのような戦術は、降水確率10%の日の折りたたみ傘のようなものです。そしてカバンの容量が決まっているように、麻雀も13枚と自牌が決まっています。晴れると分かっている日は傘を置いてその分手広く構えた方がいい。いつも傘を持ち歩くような打ち方では勝率は絶対にあがりません。